母の日は、母親への感謝の気持ちを表現する特別な日です。
しかし、その起源についてはあまり知られていません。
この記事では、日本における母の日の起源から意義や変遷の歴史までを深掘りします。
母の日がどのようにして生まれ、世界各国でどのように祝われるようになったのかを知り、深い感謝の気持ちを母親に伝えましょう。
- 母の日の起源と日本への広まりの歴史
- カーネーションが母の日の象徴となった理由
- 世界各国のユニークな母の日の祝い方
日本における母の日の起源は1930年代!始まりのきっかけを解説
日本で母の日が広く祝われるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。
しかし、その起源は1930年代にさかのぼります。
最初の提唱は女性団体による平和運動から
日本における母の日の始まりは、実は女性団体や社会運動が背景にあります。
初期の頃は、母親たちが社会で果たす役割や平和を願う思いを込めて、母の日が提唱されました。
戦後のアメリカ文化の流入と共に、母の日は家族の大切さを再認識する日として、一般に広まっていきました。
1931年に「地久節」を母の日とした大日本連合婦人会の動き
1931年(昭和6年)には、大日本連合婦人会が結成されました。
同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」として定めましたが、当時はまだ普及しませんでした。
1937年、森永製菓が主催した「母の日大会」が大きな話題に
その後の1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」が豊島園で開催されました。
このイベントは「森永母を讃える会」主催、母の日中央委員会の協賛のもと行われました。
これが、日本における母の日を祝う動きの一つとして注目されます。
アメリカの影響と日本での広がり
戦後1949年(昭和24年)ごろから、日本でもアメリカに倣って5月の第2日曜日に母の日を催すようになりました。
この時に、5月の第2日曜日に母の日が統一され、日本で定着しました。
母の日の本来の起源はアメリカ:アンナ・ジャービスの想いから
アメリカの母の日の概念が、日本における母の日の祝い方に大きな影響を与えたとされています。
1907年、白いカーネーションを配った追悼式が始まり
アメリカで母の日を創設したアンナ・ジャービスが、亡くなった母の好きだった白いカーネーションを配ったことから始まっています。
日本での母の日には、母親が健在の場合は赤色、亡くなっている場合は白色のカーネーションを贈る習慣があり、これもアメリカの習慣を踏襲しています。
カーネーションは、母の愛と感謝の象徴として、母の日のギフトとして広く選ばれています。
1914年、アメリカで公式に「母の日」が制定
アメリカでは、アンナ・ジャービスが母親を偲び、母への感謝を表す日として母の日を提唱し、全国に広がっていきました。
1914年には、アメリカ合衆国の議会で公式な記念日として定められました。
カーネーションはなぜ母の日の象徴になったのか?

カーネーションを贈ることは広く常識のようになっていますが、母親への愛と感謝の象徴となったのはどうしてでしょうか?
カーネーションが母の日の象徴になった理由
カーネーションが母の日の象徴となった理由には、アメリカで母の日を創設したアンナ・ジャービスと彼女の母、アン・ジャービスにまつわる感動的なエピソードがあります。
アンナ・ジャービスの母、アン・ジャービスは、自らが経験した母親の苦労と犠牲を社会に認識させ、すべての母親を讃える日を設けることを望んでいました。
彼女は生涯を通じて、地域社会の改善と人々の健康向上に尽力し、多くの人々から尊敬を集めていました。
赤は健在な母へ、白は亡き母への追悼の意味

アン・ジャービスが亡くなった後、娘のアンナは母の願いを実現するために動き始めました。
1907年、母の命日にあたる5月の第2日曜日に、母が長年奉仕したウェストバージニア州の教会で記念会を催し、参加したすべての人に母の好きだった白いカーネーションを配りました。
この白いカーネーションは、純潔、愛情、忠誠、そして母の純粋な愛を象徴する花とされ、アンナにとって母への敬愛の象徴でした。
このイベントは大きな反響を呼び、アンナの提唱により、母の日は全米に広がることとなりました。
1914年には、アメリカ合衆国の議会が5月の第2日曜日を正式に母の日として認定しました。
こうして、アンナ・ジャービスが母への深い愛と敬意を表すために選んだ白いカーネーションが、母の日のシンボルとして世界中に広まることとなったのです。
日本では赤いカーネーションが主流になった理由

母の日といえば「赤いカーネーション」というイメージがすっかり定着していますが、日本では、なぜ赤いカーネーションが主流になったのでしょうか?
その理由には、歴史的背景と文化的な意味合い、そして企業広告の影響が深く関係しています。
「生きている母には赤、亡き母には白を贈る」という習慣が広まった時「この色分けは、家庭の事情によって感情を刺激する場合もある」ということで、日本では配慮から赤一色に統一する形が一般的になったのです。
また、赤いカーネーションには「母への愛」「感謝」「真実の愛」といったポジティブな花言葉があり、母親への贈り物として非常にふさわしいとされています。
(キリスト教文化圏においても、赤は「愛情や献身」を象徴する色であり、母の存在を表す色として自然に選ばれるようになったとも言われています)
さらに、昭和期以降になると、花屋や百貨店、菓子メーカーなどが展開した「母の日=赤いカーネーション」というイメージ戦略が全国に浸透しました。
テレビCMやチラシ、店頭ポスターでの視覚的な刷り込みにより、赤いカーネーションが「定番」として国民の間に広まったのです。
赤い花が持つ華やかさや温かさも、感謝の気持ちを視覚的に伝える点で好まれた理由の一つです。
このように、赤いカーネーションが日本で母の日の主流となった背景には、「色に込められた意味」「文化的な配慮」「商業的な展開」といった複数の要素が複合的に関係しています。
結果として、赤いカーネーションは感謝と愛情を象徴する“定番の花”として、多くの人々に選ばれるようになったのです。
【豆知識】世界の母の日事情|国によってこんなに違う祝い方
母の日に関連して、カーネーション以外にも様々なシンボルや習慣が世界各国で見られます。
ここではいくつかの国の例を挙げてみましょう。
イギリス:マザリングサンデーと伝統菓子シムネルケーキ
イギリスでは、「マザリング・サンデー」とも呼ばれる母の日があります。
この日には、シンボルとしてカーネーションだけでなく、様々な春の花が贈られます。
また、伝統的な「シムネルケーキ」を母親に贈る習慣もあります。
シムネルケーキは、フルーツケーキの上にマジパン(アーモンドペースト)でできた11個の玉が飾られることが多く、キリストの使徒を表しています。
タイ:王妃の誕生日が母の日、ジャスミンの花が象徴

タイでは、母の日は8月12日に祝われます。
これはタイの現王の母、シリキット王妃の誕生日にちなんでいます。
母の日のシンボルとして、タイでは「ジャスミン」が選ばれています。
ジャスミンの花は、純粋な愛と母親への敬意を象徴しており、この日には家族が集まり、母親にジャスミンの花輪を贈る習慣があります。
メキシコ:セレナータで音楽と花で祝う
メキシコでは、母の日は大きな家族の集まりとともに、歌、音楽、そして美味しい食事で祝われます。
特にカーネーションに限定されることなく、様々な種類の花が母親に贈られます。
また、メキシコでは「セレナータ」と呼ばれる伝統的な音楽の演奏を夜明けに母親に捧げる習慣があります。
オーストラリア:クリサンセマム(マム)を贈る文化
オーストラリアでは、母の日にカーネーションの他にも様々な花が贈られますが、特に「クリサンセマム」が人気です。
クリサンセマムの花は、「マム」という言葉が母親を指す愛称と響きが似ていることから、母の日の象徴的な花として選ばれることが多いようです。
これらの国々では、カーネーション以外にも、文化や歴史に根ざした独自のシンボルや習慣が母の日を彩っています。
それぞれの国の伝統や文化が反映された母の日の祝い方は、その国特有の家族観や母親への敬愛の表現と言えるでしょう。

時代と共に変わる母の日の祝い方
感謝の表し方に関しては、時代による違いがあります。
母の日の祝い方の変遷

近代以前では、言葉や行動で直接感謝を示すよりも、日々の生活の中で親孝行をすることが一般的でした。
例えば、親のためにより良い生活を送れるように努力する、親の言うことをよく聞く、家業を手伝うなど、実際の行動によって親への感謝や尊敬の気持ちを表していました。
20世紀に入り、特に母の日が定着してからは、母親への感謝を具体的に表現する文化が根付きました。
カーネーションを贈る習慣や、感謝の言葉を直接伝えることが一般的になっています。
また、母の日の祝い方は時代と共に変化してきました。
現代では様々なギフトや食事を共にすることで感謝の気持ちを表すようになりました。
SNSを通じて母親への感謝を公開するという新しい形の祝い方も増えています。
これからの母の日の過ごし方

これからの母の日は、形式にとらわれず、母親の好みや希望に合わせて過ごすことが大切です。
プレゼントやメッセージカードはもちろん、共に時間を過ごすことで感謝の気持ちを伝えることもできます。
例えば、一緒に食事をしたり、映画を見に行ったり、旅行を計画するなど、母親が喜ぶアクティビティを選んでください。
また、日頃から母親の趣味や興味を共有し、コミュニケーションを取ることで、母の日だけでなく毎日を特別なものにすることができます。
母の日は毎年訪れますが、その年ごとに母親の状況や家族の環境は変わります。
だからこそ、その年その年の状況に合わせた形で、心からの感謝を伝える努力が必要です。
一年に一度の特別な日を最大限に活用し、母親への感謝を深く、そして具体的に伝えていきましょう。
母の日に贈るメッセージのアイデア

母の日には、感謝の気持ちを込めたメッセージを贈りましょう。
心に響くメッセージは、日頃言えない感謝の言葉や、共有した思い出、母への尊敬の念を表現することから始まります。
具体的にどのような支えに感謝しているのか、また特別な思い出を共有しているならそのエピソードを振り返り、その時の感謝を伝えるのがポイントです。
また、「いつもありがとう」や「これからも健康でいてほしい」などのシンプルながら温かい願いを込めると、より心に響くメッセージになります。
日頃は照れくさいかもしれませんが、この機会に心からの感謝の言葉を伝えてみてください。
母の日の起源を探る!日本にどう広まった?歴史と由来を徹底解説!のまとめ
日本の母の日の起源は、1930年代にさかのぼります。
そして、第二次世界大戦後のアメリカ文化の流入と共に、日本で母の日が広く祝われるようになりました。
母親への感謝と尊敬の気持ちは、それぞれの国の伝統や文化を超えて伝えられています。
母の日は、母親への感謝と尊敬の気持ちを表現する大切な機会です。
母親の長年にわたる無償の愛と献身に対して、心からの『ありがとう』を言葉と行動で伝えましょう。
感謝の気持ちは、言葉にしないと伝わりません。
一年に一度の特別な日を最大限に活用し、母親への感謝を深く、そして具体的に伝えていきましょう。
勇気をもって伝えてみてください。
きっと飛び切りの笑顔で応えてくれますよ!
- 日本の母の日は1930年代に始まった
- アメリカ発祥、アンナ・ジャービスが起源
- カーネーションの色に込められた意味
- 日本で赤いカーネーションが定着した背景
- 各国で異なる母の日の祝い方を紹介
- 戦後、5月第2日曜が日本の母の日に定着
- 感謝のメッセージの伝え方も解説
- 母の日を通じて感謝を行動で伝える意義
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